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済南事件 昭和3年(1928)

済南事件 昭和3年(1928)

済南事件は1928年(昭和3)5月3日、中国山東省の済南における、
国民革命軍の一部による日本人襲撃事件、および日本の権益と
日本人居留民を保護するために派遣された日本軍(第二次山東出兵)と、
北伐中であった蒋介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件。

蒋介石は日本軍による北伐の妨害であったと後に非難している。

藤田栄介青島総領事は、南軍による組織的に計画された衝突と述べている。

事件の中で、日本人居留民12名が殺害され、日本側の「膺懲」気運が高まった。

一方、日本軍により旧山東交渉公署の蔡特派交渉員以下16名が殺害されたが、
中国側はこれを重く見て、日本軍の「無抵抗の外交官殺害」を強く非難した。
さらにこれを機に、日本軍は増派(第三次山東出兵)を決定した。

衝突はいったん収まったものの、5月8日、軍事当局間の交渉が決裂。

日本軍は司令部と城壁に限り、砲撃を開始。

安全地帯と避難路を指定したため、
南軍は夜陰に乗じて城外へ脱出し北伐を続行した。

5月11日、日本軍は抵抗なく済南を占領した。

中国側によれば、その際、中国軍民に数千人の死者が出たとされる。
藤田栄介青島総領事によると、中国商民らは
日本軍の正確な砲撃によって被害のなかったことに感謝していた。

中国兵による略奪陵辱暴行殺人事件。

日本人居留民の受けた被害は、掠奪された戸数136、被害人員約400人、
中国兵襲撃による死者2人、負傷者30余人、暴行を受けた女性2人、行方不明12人であった。

尚、この12人については、裸体にされ後手に縛られ、
中国兵に連行されるのを見たという情報もあったので捜索が続けられた。

12人は、後に、死体で発見された。その惨状は次の通りであった。

▽ 藤井小次郎(土産物商)=頭及び顔の皮を剥がれ、眼球摘出。内蔵露出。陰茎切断

▽ 井上国太郎(雑貨商) =顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる。上膊部に刺創。左股に貫通銃創。

▽ 斉藤 辰雄(桐材商) =顔面に刺創。地上をひきずられたらしく全身に擦創。

▽ 東条弥太郎(土産物商)=両手を縛られて地上をひきずられた形跡。頭骨破砕。 
小脳露出。眼球突出。

▽ 同妻 きん      =両腕を紐帯で後手に縛られて顔面、胸部、乳房に刺創。 
肋骨切損。陰部に棒を差し込まれていた。

▽ 鍋田銀次郎(雑貨商) =左脇腹から右脇に貫通銃創。

▽ 宮本 直八(土産物商)=胸部貫通銃創、肩に刺創数カ所。頭部に鈍刀による切創。 陰茎切除。

▽ 多比良貞一(土産物商)=頭部にトビ口様のものを打ち込まれたらしい突創。
腹部を切り裂かれて小腸露出。

▽ 中里重太郎(土産物商)=顔面壊滅。頭骨粉砕。身体に無数の刺創。右肺貫通銃創

▽ 高熊 うめ      =肋骨切損。右眼球突出。全身火傷。左脚の膝から下が脱落。
右足の白足袋で婦人と判明した。

 他の二体は顔面を切り刻まれたうえに肢体を寸断され、人定は不可能だった。

 また堤口部落東北四百米の日本人墓地は、墓があばかれ、葬儀場や火葬室も破壊されていた。
 あばかれた墓の周囲には、砕かれた骨壺や骨片が散乱していた。

 「惨状 視ルニ忍ビズ」
 (以上、児島襄著『日中戦争』より抜粋引用)

これらの残虐行為は日本人には想像もつかないものであった。

 この後、国民党軍の大部分は済南を抜け出し、残置兵との戦闘が11日まで続く。
 蒋介石は、一方的に日本に発砲を止めろというのみで、自分の兵に戦争を止めさせようとはしなかった。

 中国は、自分たちで残虐行為を働いておきながら、日本軍がやったと逆に宣伝、 
翌年には、この事件を「国恥」として講演した。

 この事件について、 
華北の有力外字紙 
「京津タイムス」 は 
「日本軍がいなければ
外国人はことごとく殺戮されただろう」 と報じ、 

英紙 「デイリー・テレグラフ」 は 
「支那人は略奪と殺人を
天賦の権利であるごとく、
暴行を繰り返している」 

 「日本人の忍耐にも限度がある」 
と書いている。




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by natura1124 | 2013-08-31 23:36 | 歴史